休職して
初めて向き合った
自分の本音
休んでも誰も責めてこない
休職し、実家に連れ戻された私はソファで眠り続けた。先生なのに学校に行けなくなってしまった。
「子どもたちや先生たちは大丈夫だろうか?」
「休んだ私のこと、なんて言われてるんだろう?」
寝ることで身体は休まったが、心は罪悪感と恐怖でいっぱいだった。
でも、一向に学校から「戻ってこい」という電話は来ない。
むしろ「こっちはなんとかするからね」「しっかり休みなさい」「大丈夫よ」「待ってるよ」と言われた。
両親も食って寝てばかりの私に何も言わず、毎日ご飯をつくってくれた。
私は、拍子抜けした。
あれ?自分が休んでも誰も責めてこない。
むしろ、優しく接してくれる。
そして、極めつけは心療内科の先生がくれた言葉。
「休職っていうのは、体もだけど『心』も休めることが大事です。」
「自分の好きなことや安心すること、やってみたいことをしながら、自分が何をしている時に心が喜ぶのか、そういうことを見つけるための時間でもあるんだよ。」
私に衝撃が走った。
本当は、どうしたかったんだろう?
今まで自分の外側の「普通」という基準でしか物事が見えなくて、この世界でどうやって生き延びていけばいいか分からなくて、不安でいっぱいだった私は、「自分の心が安心すること」「喜ぶこと」を探していい、やっていいと、面と向かってはじめて言われたのだ。
私は本当はどうしたかったんだろう?
私は人生ではじめて立ち止まり、自分の心に問いかけた。私は自分が本当はどう思ってるかなんて、これまで本気で知ろうしたことがなかった。
私は心療内科の先生に、自分のことをポツポツ話し始めた。自分でも何を言ってるのか分からない支離滅裂な私の話を、先生は否定せず、そのまま聞いてくれた。
私は、心の中がホッと安心した。
先生は、分かってくれた。受け止めてくれた。と思えた。
いま自分が一番やってみたいことが分かった
この休職中に、私は自分のやりたいことが分かる質問ワークの講座に出逢った。毎日私は質問ワークに向き合って、ノートにたくさん自分の本音を書き始めた。
自分の好きなこと、嫌いなこと。
自分が過去に思っていたこと、してほしかったこと。
そして、本当はやりたいこと。
質問に向き合う度に、本音をノートに書く度に、私は自分のことがすこしずつ分かってきた。ノートに書いた自分の本音を見るだけで、心の中がホッと安心するようになった。なんだか自分と仲良くなっていっているような感じがした。
しかも、質問ワークで自分が書いた本音をメールで送ると、講座を作ってくれた人が返信をくれた。
その人は、私のどんな本音に対しても、いいねって言ってくれて、あなたのことを心から応援してると言ってくれた。
すごい。この人は私の本音を分かってくれるだけでなく、応援してくれるんだ。こんな人いるんだ。
このワークで私は、自分の本音を自分で分かってあげる感覚の心地よさと、本音を受け止めてもらって応援してもらえる心強さを味わえた。私は、この感覚をもっと味わいたいと思い、ワークを続けていった。
そして、ワークの質問に最後まで答え続け、いま自分が一番やってみたいことが分かった。
それは、両親へのカミングアウトだった。
今まで言えなかった
「本音」を両親に伝える
自分を信じ、両親を信じた
私は幼い頃から女の子が好き。
兄ちゃんばっかり構って、私はずっと寂しかった。
この2つの本音は、私にとって絶対に言ってはいけないことだった。自分のありのままを見せてしまったら、家族の中に居られなくなる、変な目で見られる、両親を困らせると思い、ずっと蓋をしていた。
私は大好きな両親に「普通じゃない」「わがままだ」と思われ、拒絶されることがとにかく怖かった。
でも、伝えたい。両親に私のことを知ってほしい。
これが、この時の私の一番の本音で、叶えたいことだった。
私は、人生ではじめて自分の本音を信じ、両親を信じようとした。何が起こるか分からない場を信じることを選んだ。
両親を呼び出し、大事な話があると切り出す。本音を伝えようとすると、自然と涙が出て身体が震えた。
怖い、でも伝えたい。泣きながら自分のセクシュアリティを伝えた。両親は、最後まで聞いてくれ、そのまま受け止めてくれた。
ずっと一緒にいてほしかった
だが、兄のことで寂しかったことは言えないままだった。そうやって口籠ってるまま時間が過ぎていき、両親は大事な話が終わったと思い、今後の話をしてきた。
違う。今そんな話がしたいんじゃない。そんなこと聞きたくない。
私にはまだ言いたいことがある。
心の中で私は叫ぶ。
両親は、話し終わってその場を去ろうとする。
待って!いかないで!
私をひとりにしないで!
心の中の私は叫び続ける。
でも声にならない。涙が溢れる。両親は私の泣いている様子に気づき、心配そうにこちらを見る。
「ねえ、一緒にいてよ!!」
私は叫んだ。泣きながら、両親に本音を伝えた。
そう、私はずっとずっと両親に一緒にいてほしかったのだ。両親に私の本音を分かってほしかったのだ。
心から安心していられる感覚
両親は、私の声を聞き、そばに戻って来てくれた。そして泣きながら私をギュッと抱きしめてくれた。
「さーちゃん、今までごめんね」
私と両親は泣きながら、抱き合いながら、一晩一緒に寝た。この時の体験が、私の人生を大きく変える。
私は両親に抱きしめられながら、一切の不安や恐れが消えていき、心から安心してそこにいられる感覚を味わった。
あるがままの自分を表現しても両親は拒絶せず、私を抱きしめてくれた。私が一緒にいてって言ったら、両親はそばにいてくれた。私はこのとき、両親はこれまでもずっと私のことをあるがままに受け止めてくれていたことに気づかされた。
両親はそもそもずっと自分の味方だった。信じてよかったんだ。この両親が味方なら、もう大丈夫。
私は、自然と生きる希望が湧いてきた。
そのまま受け止めて
応援してくれる仲間がいる
自分を信じ、相手を信じ、
ありのままの自分を伝え始める
両親へのカミングアウトの後、
私は自分の本音を信じ、自分から相手を信じ、色んな場で自分の本音を伝え始めた。
「私、実は休職している教員なんです」
「私、実はセクシュアルマイノリティなんです」
「私、自分のように生きづらさを抱えている子どもたちのための居場所をつくりたいんです」
はじめて伝える時は心臓が飛び出るほどドキドキしたけど、何度も何度も今のありのままの自分を伝えていくと、共感してくれる人、応援してくれる人、仲間になってくれる人がどんどん現れ始めた。
わたしが、自分を疑っていた 信じてあげていなかった
私は気づきはじめる。
私はずっと「普通のみんな」は「普通じゃない自分」を変な目で見て、嘲笑うものなんだと思い込んでいた。普通じゃない私でいると仲間はずれにされ、差別され、いけないものとして扱われてしまうのが、私はとにかく不安で怖かった。
そんな「普通のみんな」がたくさんいるこの世界は危ない。「普通」に紛れないと生きていけない。誰も私のことなんて分かってくれない。そう信じ込んで、ずっと本当の自分を表現することを、勝手に諦めて封印していた。
でもそれは違った。
誰も自分を分かってくれないんじゃなくて、自分が自分を分かってあげていなかったのだ。自分自身を、自分の本音を、私が疑って信じてあげられていなかった。
今思えば、自分が自分を一番差別して、無視して、ずっといじめていた。自分の本音を自分で分かってあげるようにして、自分のことを信じて、ありのままの自分を表現しはじめたら、ありのままの私を受け入れてくれる仲間がたくさんできた。
世界にはいろんな「普通」があった
敵なんていどこにもなかった。自分の幻想だった。
周りをちゃんと見たら、世界にはいろんな「普通」があった。どんな人にもいろんな部分があった。
普通とか、普通じゃないとか、わがままとか、いい子とか、そんなことにこだわってるのは私だけだった。
どんな私でも、そのまま受け止めて応援してくれる仲間がこの世界にはたくさんいる。
私は自分の見える世界が、彩り豊かな世界へと変わっていくのを感じた。
--- 高畑桜(さーちゃん)の物語 END ---