高畑桜(さーちゃん)の物語 #03

これまでの
生き方の限界

子どもたち
一人ひとりを大事にしたい
でも、叶わない現実

先生として唯一やりたいことが、後回しに

小学校教員になってから、教育実習の時に感じた以上に、余裕のない状況が広がっていた。毎日、持ち帰り仕事があるのは当たり前。学校行事の準備や学年の仕事、アンケート調査など大量の仕事に追われ、気が付いたら自分のクラスの丸付けをする間もなく1日が終わる。

学校でも家でも仕事をして、何とか次の日の仕事が回っていく感じで、自分のやりたい授業作りや子どもたちとの関わりは後回しだった。

ただ、どれだけ多忙で激務でも、子どもたち一人ひとりを大事にしたい。
そんな想いを持ち続けて、仕事に向き合おうとしていた。それが私が先生として唯一やりたいことだった。でも、全然できない現実があった。

何のために、自分はここに居るんだろう

とにかく目の前のやらなければならない仕事を、ひたすらにこなしていくだけで、毎日が過ぎていき、私は身も心もみるみる消耗していった。

子どもたちをこちらの都合で怒鳴りつけ、言うことを聞かそうとする自分。
こんなの自分がやりたいことじゃない。やりたくない。

唯一、外で子どもたちと遊ぶ時間だけが子どもたちと仲間になれて自分を取り戻せる時だったが、日々の業務をこなす中で、そんな気力も時間もなくなった。

「先生ともっと遊びたい」という子どもの素直な声を聞く度に、自分は何のためにここにいるんだろうと感じた。

「子どもたちと思いっきり遊んだり、心から話をすることがやりたかったんじゃないの?何してんの、自分。」子どもたちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

教育現場の「普通」に
馴染めない私

学校って、何か変だ

先生として働けば働くほど、 「なんか学校現場っておかしくないか?」「なんでこんなに先生たちに余裕がないんだ?」「目の前の子どもたちより、他のことを優先してばっかり。」と感じる。

教育って、子どもたちを均一に揃えていくことなの?
何か、この場は変だ。おかしい。

例を挙げればキリがないほど、教育現場に違和感を抱き始めた。でも、他の先生たちはそれを「普通」としてやっていている。それを当たり前として受け入れている。

こんなにも葛藤している気持ちは、
誰にも分からないだろう

「高畑先生は若いからね。まだまだこれからよ。」と慰めてくれる先生はいたが、「本当に学校って変だろう!おかしいだろう!」と言う先生は見当たらなかった。ここでも、やっぱり私は普通じゃなかった。

これが、ここの「普通」なのか。
この生活があと何十年も続くのかと思うと、絶望した。当たり前に「普通」に馴染める先生たちに、こんなにも葛藤して悩んでいる自分の気持ちなんて分からないだろう。

また、私はひとりぼっちを決め込み、笑顔の仮面をつけて、自分を隠すようになった。いつでも「大丈夫です!」「やります!」と笑顔でこたえて、何でもないふりをし続けた。でも、本音を隠せば隠すほどに違和感はどんどん増していった。

先生は
毎日学校へ行くのが普通
休むなんてありえない

毎日のように、こだまする心の声

もう無理だ。もう頑張りたくない。
学校へ行きたくない。仕事を休みたい。

教員になって3年目になった時、こんな声が毎日のように心の中でこだまするようになる。私は自分の違和感を無視しながら仕事をし続け、心身ともに疲れ果てていた。でも、仕事を休むということは当時の私にとってはタブー中のタブーだった。

先生は毎日休まず学校へ行くのが普通。休むなんてありえない。普通じゃない。そう思い込んでいた私は、休みたいと望む私のことを激しく非難した。

自分を責め続け、どんなに心が叫んでも学校へ行く

先生なのに休むなんてありえない。お前だけ甘えるな。わがままだ。
他の先生みたいにできないお前がいけないんだ。
普通じゃないお前がいけないんだ。
お前がおかしいんだ。

そんな風に心の中で自分を責め立て続けながら、毎日学校へ行った。学校への行き帰りで吐き気を催し、突然涙が出る日も増えた。

事故に遭って学校に行けなくなったら、どんだけ楽か。死にたい。死にたい。死にたい。
どんなに心が叫んでも、それでも「休んではいけない」「それは普通じゃない」と自分に言い聞かせた。

そんなことを続けていく中で、自分のやることなすこと、全部「普通じゃない」ように見えてきた。
周りと自分を比較して、「普通じゃない」部分を探し出し、責め立て続け、自分のことが大嫌いになった。

これまでの生き方の限界

どうせ、誰も助けてくれない
ひとりで全部を抱え込んでいた

そんな状態だから、当然クラス運営もボロボロ。
子どもたちは毎日泣き叫び、ケンカをし、トラブルだらけだった。気づけば学級崩壊寸前だった。

これは全部、力のない自分のせいだ。
何が「一人ひとりを大事にしたい」だ。
お前は口だけで、全然できてないじゃないか。
先生なら自分のクラスぐらい自分で守れよ。
私の中のいろんな声が、私を責め立てる。

「高畑先生、大丈夫?」そんな風に先生たちは声はかけてくれてもみんな、自分のクラスで手一杯だ。
私は「はい!大丈夫です!」としか言えなかった。

「大丈夫じゃないです。助けてください。」そんなセリフを言っている自分が想像できなかったし、大丈夫じゃない自分がいることがバレてしまうことは、その時の私にとっては「死」だった。

今思えば、どう考えても大丈夫じゃないことはバレていたと思うけど、とにかく私は取り繕って隠すことに必死だった。

どうせ、誰も助けてくれない。
どうせ、誰も分かってくれない。
私は、誰も信じられず、ひとりで全部を抱え込んでもがき続けた。

ある日突然、
ベッドから起きられなくなった

もう限界がすぐそこまで来ていた。
子どもが目の前でケンカをして泣き叫んでいるのに、何もできずただ立ちすくんでしまうようになった。

為す術もなく子どもたちを呆然と眺めていた。もう、私は限界だ。何もできない。先生として子どもの前に立っている場合じゃない。これ以上ここにいてはダメだ。休まないと。

ここまで極限状態に追い詰められているのに、私は自分から「休ませてください」と言えなかった。それほどまでに「普通じゃない」という烙印を押される事を私は恐れていた。

パソコンの文字が読めなくなった。先生たちの声が頭に入ってこなくなった。自分が何を言っているのか分からなくなった。

それでも、私は毎日学校に行き続け、ある日突然、私はベッドから起きられなくなった。

うつ・適応障害になり、休職。
一番やってはいけないタブーが破られ、今までの生き方が強制終了された。