頼れる大人なんか居ない
自分が、母や妹たちを守らないと
父の怒鳴り声、母の叫び声…それを見て泣きわめく妹たち。母に暴力をふるう父を止めようと僕は必死だった。でも、無力だった。止める方法は警察に電話をすること。警察官が数人来て、父をなだめる。一時的に事は収まるが、警察官が帰ると僕らは再び恐怖の中で生活をする。
ヘラヘラしながら父をなだめて帰る警察官を見て「頼れる大人なんか居ない」幼いながらにそう感じていた。自分が母や妹たちを守らないと…誰も守ってくれない。『助けて』と言うことがこれほどまでに難しいなんて。
身体に対する違和感と
母親の涙
ぐちゃぐちゃになっていく気持ち
第二次性徴が始まった頃、自分の身体への違和感が出てきた。どんどん女性化していく身体に対する嫌悪感、不安感、恐怖感…。一言では表せないような感情が自分のこころのなかでぐちゃぐちゃになっていた。
その不安をかき消すかのように学校では友達と悪さをしてみたり、耳を開けてみたり、興味本位でタバコを吸ったこともあった。ある日、タバコを吸ったことが学校にバレて、僕を含めた生徒数名とその保護者が夜の校舎に呼び出された。
授業参観にも来たことがない親だったから、来ないだろうと思っていたら少し遅れて母親が教室に入ってきた。僕はびっくりして何も言えずに座っていて、先生の話を聞いていると母親が泣いているのが見えた。
初めて見た母の姿だった。その瞬間に、「自分はいけないことをしてしまったんだ。おかあを泣かせてしまった」と思ったし、「もう、悲しませちゃいけない」って思った。
そこから僕は心を入れ替えるかのようにずっと所属していたバレーボールクラブで練習に励んだ。
とにかくセーラー服が嫌だ
誰にもバレちゃいけない、悩みに蓋をして…
小学校を卒業して、中学生になる直前。入学前からめちゃくちゃ憂鬱だった。
とにかくセーラー服が嫌だ。自分の身体が嫌だ。入学してからは「自分だけがこんな変な感覚を持っているのかもしれない」「自分は異常だ」そう思いながら過ごした中学校時代だった。
性別への違和感を持っていることは誰にもバレちゃいけない…。セクシャルマイノリティという言葉も、LGBTQという言葉もまだ知らない僕は、自分のこのおかしな感覚が一体何なのか、言語化出来ないもどかしさもありながらも、大好きなバレーボールに打ち込み、自分の悩みに蓋をしながらどうにか過ごした。
将来の夢は体育教師
でも、ロールモデルが居ない
ちゃんと生きていけるのかな?
高校2年の時、「性同一性障害(性別違和)」という言葉を知った僕は、自分のこの違和感の正体はこれだったのかもしれないと安心した。同時に不安も出てきた。
その当時の夢は【体育教師】だった僕は、とにかくパソコンに向かって自分の将来像となりそうな人を探し始めた。…でも、誰一人見つからなかった。「自分の将来はどうなるんだろう?ちゃんと生きていけるのかな?なりたい自分にはなれないの?」とにかく不安と絶望感でいっぱいだった。
ロールモデルとなる大人が居なくて、進路を決めるどころか自分がこの先どうやって生きていけば良いのかすら分からなかった。そんなことを感じながらも、時間は進んでいく。高校卒業後のことを考えないと。とにかく今の自分にできること…体育の教員免許だけは取っておこう。そう決めて、大学に行くという選択をした。
誰も知らない場所へ行こう
地元を離れる決断
推薦入試で、母と熊本へ
なんだか分からない生きづらさを感じていた僕は、「とにかく地元を離れたい」と思うようになった。「高校を卒業したら自分のことを誰も知らない場所へ行こう」「居場所を変えれば人生やり直せるかもしれない」と考えていた。
沖縄で生まれ育った僕は、県外にある大学のパンフレットを手に、どんな大学かもよく調べずに推薦入試を受けることを決めた。今思えば、よくそんなことが出来たもんだ。
推薦入試の前日、僕は母と熊本県に居た。二人で「こわい!」と言いながら飛行機に乗り、宿泊先のホテルで僕が緊張しながら必死に推薦入試の準備をしている隣で、母は疲れたのかベッドで爆睡していたことすら、今では良い思い出。受験に行ったはずなのに、熊本城に行ったり、お土産をスーツケースいっぱいに詰め込んだ記憶ばっかりが出てくる。
母への感謝、寂しさと不安と恐怖
無事に入試を終え、沖縄に戻った数日後に届いた合否通知。開けてみると結果は『不合格』だった。その通知を持って、進路担当の先生のところへ行ったら開口一番に「こんなレベルの高い大学受けてたの!?あなたの学力じゃ無理よ!」と言われた。
それを聞いて初めて知ったのだが、めちゃくちゃレベルの高い大学だったらしい…とにかく地元を離れたい一心で、調べもせず受験してしまった行動力には自分でもびっくりする。そして、何も言わずについてきてくれた母には感謝と申し訳なさと…でも忘れられない一生の思い出になった。
さて、次はどうしよう。もう、県外の大学を受ける経済的余裕なんてない。でも地元を離れたい気持ちは変わらない。県内でも一人暮らしが出来るような、地元から離れた大学に行こう。そう決めた僕は、再び大学試験に挑んだ。…今度こそ受かった。
大学入学に向けて着々と準備を進めながら、地元から離れられる嬉しさと、ちょっとした寂しさと、自分の性の違和感と向き合わなければいけない不安と恐怖を感じていた。
自分はこれから
どうしたらいいんだろう?
ただただ過ぎていく毎日
大学の入学式はメンズスーツで出席した。周囲は知らない人ばかりだったから安心してそこに居れた。
制服がない大学ではいつもジャージだった。その点では安心していたけれど、入学してから1年間は、毎日孤独を感じていた。あれだけ大好きだったバレーボールにも目を向けず、アルバイトもせずにただただ1日が終わるのを繰り返していた。
「自分はこれからどうしたらいいんだろう?」性別への違和感は確実に強まっていく。診断を受けるためには精神科医による診察が必要で、病院に行くお金もないし、何より精神科に行くことのイメージが怖すぎて勇気も出なかった。
本当の自分は、誰にも話せない
大学2年生になり、少しずつ友達が出来た僕はバレー部に入部することになった。そして友達に誘われてスポーツジムでのアルバイトも始まった。どちらも楽しかったし、自分にとって安心できる居場所だった。
ただ、自分の性に対する違和感のことは誰にも話せなかった。秘密を抱えたまま、このままじゃいけないような気もしながら部活、アルバイト、勉強に時間を費やして、自分に向き合うことなく過ごしていた。
どうせ
誰も分かってくれない
焦る気持ち、どうしようもない不安
大学3年生になると、大学卒業後のことを考え始めなければいけない空気感が出始めた。教職課程をとっていたので、教育実習の話が出てきたり、採用試験の勉強に本腰を入れる友人たちを横目で見ながら焦る気持ちと、どうしようもない不安に襲われそうになることもしばしばあった。
そんなときに追い打ちをかけてきたのが、『キャリア教育』という類の講義だった。自己分析をしたり面接の受け方やマナーを学ぶような内容だったのだが、その講義はスーツを着ていかなければならない日があった。でも、「レディーススーツは絶対に着れない…、だからと言って、誰にもカミングアウトしてないからメンズスーツを着るのも怖い…」
違和感を持っている自分が悪い
将来に関わる大事な講義だということは分かっているけれど、メンズスーツを着た自分を周囲がどう見るのかが何よりも不安だった。
悩みに悩んだ挙句、「キャリア教育の講義には行かない」という選択をした。皆がキャリア教育の講義を受けてる時間、僕は家で時間が過ぎ去るのを待った。
「自分はなんでこんなことをしてるんだろう…なんでみんなと同じように講義を受けられないのだろう…」と、自分を責めた。
「性別に違和感を持っている自分が悪いんだ。レディーススーツ着て耐えればいいだけの話。なんでそんなことが出来ないんだ。自分の気持ちはどうせ誰も分かってくれない。だって皆は何の違和感もなく性別に沿ったスーツが着れるんだもの。」
そんなことばかりが頭の中を占領した。どんどん自分という存在を否定するようになった僕に、ある日、大きな出来事が起きた。
このままじゃ
何も変わらない
本音で伝えてくれたから、
自分の中で「何か」が動いた
キャリア教育の講義に行かずに家に居た僕は、きっと世界中で自分が1番かわいそうな人間だと思っていたに違いない。(今思うと恥ずかしい…)自分が行けないことを全て周りの誰かや何かのせいにしていたんだと思う。
当時お付き合いしていたパートナーは、そんな僕を見るに堪えなくなってしまったのだろう。突然、「あんたが一番男らしさとか女らしさとかにこだわって自分のことを差別してるんじゃん!!!私は一人の人間として関わりたいのに、あんたが自分を否定していたら私はどうしたらいいの!?こっちの身にもなって!」と言ってきた。
「ああ…ごもっともです。」と今なら言えそうだけど、その時の僕にはそんな余裕はなかった。「こっちの気持ちも知らないくせに、勝手なことばかり言うな」と。あーあ。。。またかわいそうな僕で居ようとしてる。結果、言い合いのケンカになってしまった。ほんと、ごめんなさい。
でも、本音で伝えてくれたからこそ自分の中で何かが動いた気がする。心の中では『このままじゃ何も変わらない』ってことは分かっていたから。
友だちと二人、講義をサボった
忘れられない時間
この出来事とほぼ同じタイミングで、同じゼミの友人から相談があった。『自分もキャリア教育の講義、行きたくないから一緒にどこかで時間つぶさない?』びっくり仰天だった。
その友人は学年のリーダーをしていたし、学校でも中心となるような存在だったから、学校をサボる(言い方!)ことは、ものすごく勇気が必要だったと思う。
ある日のキャリア教育の講義を二人で休んで、マクドナルドに行った。「大丈夫かな?やばいかな?」と、友人はめちゃくちゃそわそわしてた。そりゃあそうだろう。
そして「自分もレディーススーツを着たくない。今までは我慢して着てたけど、もう嫌だ」と伝えてくれた。
お互いに、これまで性別の悩みは話したことなかったけれど、感覚的に気づいていたのかもしれない。二人で講義をサボって過ごした時間は忘れられんなあ。