當山敦己(あっきー)の物語 #02

模索しながら
人生が動き始める

人生初のカミングアウト
内側から生きる力が
湧いた瞬間

この人になら話しても、大丈夫かもしれない

パートナーとの本気の喧嘩や、友人と講義をサボって過ごした出来事が重なっていたからか、自分の中で変化が起き始めた。『信頼できる人に本当の自分を打ち明けてみたい』という想いが出てきた。

【この人になら話しても大丈夫かもしれない】という人。その人は大学の先輩でもあり、アルバイトも同じだった。誰に対しても否定せずに関わっている姿を間近で見ていたし、目の前にいる人にとって必要な情報を惜しみなく手渡す人だった。読書嫌いだった僕が、今たくさんの本を読むようになったのも先輩のおかげといっても良いかもしれない。とにかく自分にとって大事な存在で、尊敬できる人だった。

理解してもらうのは難しいかもしれないけれど、否定はしないはずという確信に近いような気持ちもあった。アルバイトの日に、二人になったタイミングでカミングアウトした。

『自分は性同一性障害かもしれない。将来、男性として生きていくかもしれない。先輩は自分にとって大事な存在なので、本当の自分を知ったうえでこれからも関わってもらえたら嬉しいです。』自分に出来る精一杯の伝え方だった。

人と違うことこそ、魅力

僕の話を聞いた先輩は、「きっと悩んでたよね。話してくれてありがとう」といつも通りの表情で話してくれた。続けて、「人と違うからって悩む人多いけど、人と違うことこそ魅力になるよ。だからそれをどんどん出せばいいよ!」と言ってくれた。

それは、僕にとって雷に打たれたような衝撃的な言葉だった。
これまでずっと、人と違う自分は異常だ、ダメな人間だ。生きていけないかも、と思っていたから。

自分の思っていたことと、先輩が伝えてくれた言葉が真反対すぎて、しばらく混乱した。そんな僕に、「もしかしたら差別や偏見で傷つけてくる人も居るかもしれないけど、おれは絶対に味方だし、何かあったら守るから大丈夫。堂々と生きたら良いよ」と伝えてくれた。

自分のことをまるごと受け止めてくれる人が居る。たった一人でも味方がいるなら自分らしく生きてみたいと、自分の内側から生きる力が湧いたような瞬間だった。

味方がいるから大丈夫
在りたい姿で、学校へ行く

性同一性障害の診断がおりた

そこからの僕は、在りたい姿で学校に行くことを決めた。
ずっと行けなかったキャリア教育の講義にもメンズスーツで行った。
正直怖かったけど、『自分には味方がいるから大丈夫』と思うとなんだか心強くなれた。

部活も少し早めに引退し、掛け持ちでアルバイトを始めた。ジェンダークリニックに通うお金をつくるためだった。震える手で初診の予約の電話をしたことは今でも覚えてる。

そこから半年かけて通院し、「性同一性障害(現:性別違和)」の診断がおりた。診断がつくことを喜ぶのは変なのかもしれないけれど、素直に嬉しかったし安心した。『ここから男性として生きていくんだ』という覚悟が出来たのかもしれない。

大学生の頃メンズスーツで

大学生の頃
メンズスーツで

自分で、実習先の母校へ相談に行く

大学4年生になると教育実習の話が出てくるようになった。実習先は僕の通っていた中学校。実習中もスーツ着用ということは知っていたので、大学の担当の先生のところへ行き、メンズスーツで実習したいということを相談した。

すると、「実習はレディーススーツで受けてほしい。大学の見られ方もあるから…」と言われた。とてもショックだった。
その言葉を聞いた僕は、「もういいです。自分で実習先に相談します」とだけ言って部屋を出た。

そして教育実習が始まる1ヶ月ほど前に、母校を訪ね、自分が学生の頃には入ることのなかった校長室へ入り、校長先生と主任の先生とまずは話をした。性同一性障害という診断がおりていること、メンズスーツで実習を受けさせてほしいことを伝えた。

話し合いの結果、性同一性障害ということは生徒たちには公表せずに、メンズスーツで過ごすということになった。

あなた、すごいね
救われる子がきっと居る

あなたの話を聞くまで、
性別に違和感がある人が居ることを知らなかった

校長先生たちとの話し合いの後、実習指導の先生がバタバタとした様子で来られて、「お昼ご飯食べてないでしょ!?外に食べに行こう!!!」と、すぐに車に乗せられた。第一印象は、『バリバリの体育大学を出ている厳しそうな体育の先生』だった。その先生の隣でガチガチに緊張したままお店に到着。料理を注文して待っている間に、今日、僕が来た理由をお話しした。

幼い頃から性別に違和感を感じていたこと、つい最近、病院に行って診断を受けたこと、これから男性として生きていきたいという想いがあることや実習は自分らしい姿(メンズスーツ)で過ごしたいこと…。

一通り僕の話を聞いてくださった先生は、「あなたすごいね。」と言ってくれた。

「私は体育教師として長年やってきた。生徒指導もこれまで散々やってきた。今振り返ると、制服を着たがらない子も居たけど、それも指導対象として指導してきた」「私はあなたの話を聞くまで、性別に違和感がある人が居るってことを知らなかったから、指導してきた子たちの中にもあなたと同じように悩んでいた子が居たかもしれない」と、これまでの自分を振り返るかのように伝えてくださった。

自分らしい姿で過ごせた
1ヶ月間の実習

「実習期間、メンズスーツで堂々と過ごしなさい。あなたがそうやって生徒の前に立つことで、救われる子どもが居ると思うから」 という実習指導の先生からの言葉を胸に、1か月後に始まった実習はめちゃくちゃ大変だったけど自分らしい姿で子ども達や先生方と関わらせてもらった。

授業実践発表では心臓が飛び出るかと思うほど緊張したけど、そんな僕を見て、生徒たちは授業前に円陣を組んで勇気づけてくれた。子どもたちにたくさん助けてもらった、約1か月間の実習は自分の人生においてかけがえのない経験になった。

「体育教師」の道は
選択できない

卒業後、どうやっていけば良いのか…

大学卒業を間近に控えていた2月、僕はまだ卒業後のことが決まっていなかった。
男性として生きていくと決めたものの、果たしてどうやっていけば良いのかが分からなかった。

体育教師という道は選択できなかった。戸籍上の性別(当時は女性)でしか採用試験が受けられないため、どうしてもそれは出来ないと思ったから。

僕の中では、一刻も早く戸籍上の性別を男性にしたいという想いもあったが、今の日本では性別適合手術を受けないと性別の変更ができないという法律がある。(2014年当時)手術を受けることの不安ももちろんあるのだが、そもそも手術を受けるためには高額のお金が必要。そんなお金は僕にはなかった。どうしよう…。

あなた、今まで何をしてたの?

働いてお金を貯めないと。そう思った僕は、とりあえずハローワークに行き、求人募集を見ていた。いくつか見ていると「学童指導員」という文字が目に入ってきた。教師という道は選べないけれど、子どもと関わりたい気持ちはある。学童も良いかもしれないと思った僕は、その求人票を持って窓口に向かった。

正直言うと、窓口に居た担当のおじさんの雰囲気が怖くて行くのやめようかな…と思った。椅子に腰かけ、恐る恐る求人票を差し出す。

僕が大学生で来月には卒業することを伝えると、その担当のおじさんは顔をしかめて「あなた今まで何をしてたの?もう卒業なんでしょ?」「就職活動してなかったの?」と、明らかに怒っているかのような口調だった(やっぱり怖いじゃん)。僕はおどおどしながら「あ、いや、色々事情があって…」とごまかした。

「まあいい。この学童の理事長は僕の友人だから今すぐ聞いてみるよ」と、その場で電話をかけてくれた。すると、今から、面接に来てくださいという何とも急な展開になってしまった。

あなたなら大丈夫
応援してるよ

戸籍上は女性
でも、男性として働きたい

しかし、窓口のおじさんは、僕のことを「男性」だという認識で手続きを進めていた。(当時の僕は、ホルモン療法も始めていたので声も変わりかけていた) その様子を見ながら『早く自分の事情を話さないと…』僕の心は焦った。

手続きも終わりかけた時、意を決して「実は戸籍上は女性なんです。でも、男性として働きたい気持ちがあるんです」と伝えた。おじさんは「それは一体どういうこと!?」と本当にびっくりした表情で、でも混乱しながらも最後まで僕の話を聞いてくれた。

一通り説明すると、おじさんはまだ頭が追い付いていない様子だったけれど、「あなたの希望は分かった。ただそれは僕の判断では出来ないので、面接のときにあなたの言葉で理事長に伝えてみなさい」と言ってくれた。

分かりましたと言って、面接に向かう準備をして席を立ったとき、おじさんがとても優しい表情で「あなたなら大丈夫だよ。自信持って行ってらっしゃい」と送り出してくれた。

働きやすいように、働いたらいい

理事長と二人で面接が始まる。面接というよりもおしゃべりのような感じで、採用という方向で話が進んでいった。 その中で、男性として働きたいこと、名前も改名予定である「敦己(あつき)」として雇ってほしいことを伝えた。不思議と不安はなかった。ハローワークのおじさんの言葉が胸に残っていて、勇気づけてくれたような気がした。

理事長は「あなたが働きやすいように働いたらいい。こちらは問題ないよ」と、無事に男性として就職することが決まった。

面接が終わったあと、僕は真っ先に報告の電話をした。ハローワークのおじさんは電話越しに喜んでくれた。「良かったなあ、ほんとに良かった。この先、大変なこともたくさんあるだろうけど、あなたなら大丈夫だから。応援してるよ」この言葉に胸が温かくなって、よし、がんばろうと思えた。

一人の人間として、
どう生きるか

子どもたちとの日々が始まる

出勤初日、僕は子どもたちの前で自己紹介をした。
「今日からみんなと一緒に過ごすことになりました。あつきと言います。よろしくお願いします。」
僕のあいさつを聞いた子どもたちは、「あつき先生って男の先生なの?なんか女の人みた~い!ヒゲも生えてないし声も少し高い~」と、ド直球の言葉を返してきた。

僕はあたふたしながら、「い、いや!男の先生だよ~」と言いながら、子どもたちとの日常が始まった。
子どもたちって素直だなあと思ったのと同時に、これから大丈夫か!?と若干不安にもなった。

たくさん泣いて、たくさん笑って

子どもたちと約1年間、晴れの日も雨の日も共に過ごした。たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさん怒ってしまって。保護者のみなさんも他の先生方もすごく優しくて、新米の僕を温かく見守ってくれた。

自分がトランスジェンダーであることを子どもたちにも保護者にも先生方にも直接打ち明けることはなかったけれど、日々関わっていくなかで男性だとか女性だとか、そんなことよりも「一人の人間」として向き合ってくれていることを体感した。

初日にド直球を投げてきた子どもたちも、「あつき先生、女みたーい」という言葉は全く出なくなって、『あつき先生』という僕自身を見てくれていたんじゃないかなと思う。

性別のことで悩むことはもちろんあるけれど、『人としてどう生きるか。目の前の人をどれだけ大切にできるか』ということが、生きていくうえでは大事なのかもしれないと、社会人1年目の僕にとって人生の糧になる貴重な経験をさせてもらった。

そして、学童を閉園するということと、僕自身も胸オペ(乳腺摘出手術)をすることを決めていたので、約1年間お世話になった職場を退職することにした。