やってみたいことって
何だろう?
根っこにある想い
『家族へカミングアウトがしたい』
2019年1月頃、あっきーは心身ともに疲れて仕事を辞めた。もう何も考えられない状態だった。そんな様子を見ていたさーちゃんは、あっきーを神石高原町に連れて行った。
「もう、何もしなくていいから、ここでゆっくり過ごしてほしい」
さーちゃんの家でただただゆっくり過ごしたあっきーは、神石高原町の自然に触れたり、地域の人の優しさに触れたりしながら、体力と心が少しずつ回復していった。
さーちゃんは、そばに居て、見守ってくれた。
神石高原町に来て2週間が過ぎたころ、あっきーは自分自身のこれからを考えられるまでになった。
「この先、どうしたいんだろう」「やってみたいことってなんだろう?」と考えるうち、ふと、1つのことが浮かんだ。
『地元である沖縄で講演会がしたい』なんとなく、このタイミングなら出来るかもしれないと思った。
そして、根っこにある想いは『家族へカミングアウトがしたい』だった。
自分勝手で、我がままな想い?
沖縄での講演会を提案!
しかし、あっきーは、家族へカミングアウトするというのは自分勝手でわがままな想いだと感じていた。 そこで、さーちゃんに「沖縄で講演会しない?ここいろ初の主催で!航空券も安く取れそうだし、さーちゃん沖縄初めてでしょ?観光もしようよ!」という、それらしいのかそれらしくないのかも分からないことを並べて提案した。
それでもさーちゃんは、「いいね!沖縄で講演会しようや!」と二つ返事だった。
先に日程を決め、その場で航空券を予約した。
2019年6月8日、ここいろhiroshimaとして初めての主催講演会をすることが決まった。
約3か月後の沖縄講演会に向けて、私たちは走りだした。100名以上入るような会場を抑え、チラシを作り、沖縄の新聞社や教育・福祉団体などに案内を送った。そして、あっきーは沖縄でお世話になった人たちにもお知らせをした。
さーちゃんと一緒なら
家族に胸を張って伝えられる
なぜ、沖縄で講演会をするの?
少しずつ、沖縄講演会の日にちが近づいてくる。そんなある日、さーちゃんはなんとなく思った。
「沖縄で講演会をするのは良いんだけど、なぜ沖縄でやるんだっけ?なんのためにやるんだっけ?」
「そこが明確になっていないままだといけない気がする。」
そう感じ、あっきーに問いかけた。
「あっきーは、なぜ沖縄で講演会がしたいと思ったの?うちにはまだそこの理由がきちんと分かっていないから、あっきーの想いが知りたい」
それまで、本音を隠してなんとなくの理由をならべて準備をしてきたあっきーは、このままではさーちゃんにも申し訳ない…自分の素直な想いを伝えてみようと思った。
独りで伝えるのは怖い
「実は、自分勝手な理由かもしれないけど…講演会を通して家族にカミングアウトしたい。今まで面と向かって伝えたことがないし、伝える必要もないと思ってた。否定されたら正直こわいし、今さらなんて言っていいか分からない」
「でも、ここいろの活動をしていくなかで広島にたくさんの味方ができた。だから、もし否定されても帰れる場所がある。ただ、1人でそれをやるのは怖い。さーちゃんと一緒なら、いつものように隣に居てくれたら安心して胸を張って伝えられそうな気がする」
「そして、沖縄の人たちにその姿を見てもらって希望の種を届けたい。沖縄は自分にとって大事な場所だから。友人やお世話になった方への恩返しをしたい」
ふたりの気持ちが一致した
その想いを聴いたさーちゃんは「あっきーの本音が聞けたこと、うちを頼ってくれたことが嬉しい。あっきーのやりたいことを叶えることが、今回うちのやりたいこと。」と、あっきーの言葉を受け取った。
2人で沖縄に向かう気持ちが一致した瞬間だった。
そして、あっきーは家族に「6月8日は予定を空けててほしい。講演会をするからそこに来てほしい」とだけ伝えてその日を迎えた。
沖縄講演会の前日
俺は、行かんでも良いかなあ
沖縄講演の前日、私たちはあっきーの実家に居た。その日、あっきー父は夜勤の仕事で家を出ようとしていたのだが、出る前の母との会話で「俺は明日も仕事があるし、講演会は行かんでも良いかなあ~?」というようなことを伝えたらしい。
それを聞いた母は、あっきーの元へ来て「明日、おとーが講演会行かないとか言ってるけど・・・行かんでも大丈夫なの?」と。
そりゃあ、何のための講演会かも伝えていないし、そもそも講演会に行ったこともない両親からすれば、謎だったと思う。
母からその言葉を聞いたあっきーは内心、めちゃくちゃ焦った。今回の講演会の一番の目的は、家族へ伝えることなんだ。それなのに、父が来ないのは困る…。どうしよう。
おとー!!絶対にきて!さーちゃんが叫んだ
あっきーは、おとーに講演会へ来てほしいことを上手く言葉にできず、おろおろしていた。すると、仕事に行こうと玄関に向かったあっきー父に向かって、
「あっきーのおとー!!!
明日の講演会、絶対に来てよ!!!!
大事な講演会だから絶対に来て!」と、さーちゃんが叫んだ。
さーちゃんの言葉を聞いたあっきー父はびっくりした様子で、
「おお、、そうか。そんなに大事な講演会なら行こうかな」と言いながら家を出た。
自分の言葉で、
想いを伝える
やっと家族と向き合えた
そして迎えた講演会当日、会場には120名ほどの方が来てくれていた。あっきーの学生時代の友人たち、社会人になってお世話になった方、新聞やチラシを見て申し込んでくださった方々。
さーちゃんの母と兄、私たちの友人が広島からかけつけて来てくれた。なかには東京や鹿児島から来てくれた方もいた。
そして、一番前の席にはあっきーの家族が座っていた。 私たちにとって、普段の講演会とは全く違う風景だった。
講演の最後に、あっきーから手紙を読んだ。
参加者、友人たち、家族へ。あっきー父が泣いていた。初めて泣いてる姿を見た。家族に自分の言葉で想いを伝えられて本当に良かった。やっと家族と向き合えたような気がした。
隣りに居てくれたから、
チャレンジできた
そして最後はさーちゃんへ。
「沖縄で講演会をしたい」と言ったとき、「やろう!」と言ってくれてありがとう。
さーちゃんが居たからチャレンジできた。隣に居てくれたから心強くなれた。手紙を読んでいる私たちは大泣きだった、、(笑)
それでも会場全体がホームのような、みんなに見守られているような、そんな温かい空間だった。
家族の関係性が
少しずつ変わり始める
父と母からの言葉
数日後、新聞記事に講演会の様子が掲載された。
そこにはあっきーの両親がインタビューにこたえている部分もあった。母の「あの子が今幸せならそれでいい」という言葉と、父の「自分の子には変わりない。応援するしかない」という言葉。
講演会後は普段通りすぎて、本当に講演会をしたのだろうかというくらい変わらなかったのだが、新聞記事を読んでから一気に実感した。言葉でやりとりすることが苦手な家族だからこそ、言葉の重みを感じた。
あっきーは、沖縄講演会から家族の関係性が少しずつ変化してきたのを感じている。まだまだ不器用な家族だけど、お互いが歩み寄ろうとし始めているのかもしれない。
ここいろhiroshimaとしても、大きなチャレンジを経験したことで力強くなれたし、ふたりの絆がより深まったような、大事なものを得たような気がした。